ホーム > 国際関係学に夢中な人たち > ジャカルタから発信する、日本語新聞




「こんなところで日本語の新聞を作っている人たちがいて、そしてそれを楽しみにしている人たちがいるんだ・・・。」それがインドネシアの邦人向け新聞「じゃかるた新聞」を最初に訪れた時の感想だった。
そして「インドネシアから情報発信する」という仕事に、さまざまな可能性とやりがいを感じたのが入社するきっかけだった。
1998年にスハルト政権が崩壊し、治安情勢が最悪だった頃。自分たちの事務所や学校を守るため、インドネシア各地に残った邦人の方々に向けて、政治や社会の激動を伝え、生活や文化、治安情報をきめ細かく伝える日本語メディアとして「じゃかるた新聞」は誕生した。今ではインドネシア各地で読まれているほか、東京の永田町の国会図書館や公共機関にも置かれている。
そこで働く私の業務は、主に広告担当。企画、調査、広告、審査、校閲など広告のプランニングから紙面掲載までのコーディネートや営業活動にあたっている。その一方で、総選挙やアチェ津波など大きな事件が起こった時は、駆け出し記者の一人として走り回ったりもする。
新聞社の広告営業として要求されることは、フレキシブルな感覚で、世の中の動きを敏感にとらえる能力。そして、広告主への企画立案、調査、PRから収支管理など多方面にわたる業務能力だ。
私の場合は、ゼミで学んだ国際的な視点、柔軟なモノの見方が、今の仕事にとても役立っている。
また、そういった視点で海外に出てみると、日本では見ようとしても見えなかった物事があるということに気が付いた。特に国際社会の人間相関図は、海外にいるからこそ見えてくる面白さがある。
新聞社の仕事は、ある意味で良くも悪くも「その日暮らし」。だから私は今日一日を楽しみ、自分の仕事を楽しむことにしている。会社の机にしがみついていないで、できるだけ外に出て人と会うこと。市民の目線を忘れないこと。 そこから仕事が始まるからだ。
これから中部大学で学ぶ皆さんも、さまざまな人たちと交流を持ってください。異なる考えを持つ人たちと出会い、付き合うことで自分の考えの幅も広がっていきます。特に、甘やかす関係ではなく、自分に厳しく接してくれる人。褒め言葉よりも、的確な指摘を与えてくれる人は貴重な存在です。
僕にとっては、ゼミの先生が社会人となるための第一関門でした。楽しく、そして厳しく付き合ってくださった先生と、今でもお付き合いは続いています。
そして、これからは今以上に英語力が要求される時代になると思います。英語プラスもう一言語を身につけて世界に羽ばたく大きな夢を描いてください。継続的に取り組んだ英語とインドネシア語は、現地経験と相まって、僕の武器になっています。インドネシアで暮らしていると、つくづくやっていてよかったと思います。
自分が面白いと思うこと、意気に思うことをとことん粘り強くやっていれば、必ず思い描く夢に近づくことができると思います。